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震災から11年~その2~ [Message]

僕の通っていた学校は、阪神淡路大震災の、被災地にありました。
学校の友達は全員、無事でした。僕の自宅は、被災地ではありませんでした。

甲東園駅。駅の東側にあった建物は、1階がつぶれ、
駅の方に斜めに倒れ掛かって、止まっていました。
この写真は、駅の、
すぐ横(西宮北口寄り)にある踏み切りから、東側(学校の反対側)をみたものです。
「宮っ子」に行く時に通る道、といえばわかる方もいるでしょう。

駅のすぐ南側では、阪急今津線の線路の上に、新幹線の線路が、落下していました。

そして、隣の門戸厄神駅のすぐ南側では、
国道171号線の陸橋が、線路の上に落下していました。

今一度、思い出しておきたいことがある。あの時、知ったこと。
命の大切さ。人の繋がりの大切さ。
水、ガス、水道、電気、トイレ、温かさ、明るさ、電車、家、普段どおりの生活…など、
普段当たり前と思っているものの、大切さ。


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コメント 3

ぼん

あれから11年経ったけれどこうして写真で見るとあらためて昨日の出来事のような生々しさです。TVでよく見かけたのは高速の橋脚が崩れて道路が寸断され、バスの落ちかかっている・・という光景でしたがこの3枚の写真のような場面があらゆる所で見られたのでしょうね・・。いつかは年月が経ち、街や道路は復興していって当事者以外の人からは忘れられていくのでしょうが、いつまでも被災者の方達の心は癒されることはないと思います。ぼんはこの日だけでもあの日の衝撃や不安な心を思い出し忘れないよう刻んでいきたいです。今ここに自分がこうして在ることを感謝しながら。
by ぼん (2006-01-19 12:58) 

みず

11年の実感がないっていうか、まだまだ生々しいですよね。
住宅密集地などでは、どこもかしこも大変なことになっていたと思います。
僕も、1月17日は、しっかりと心に刻みなおして、1年をすごすようにしています。
震災で亡くなった方と、生き残った方の、あの瞬間いた場所の違いは、
ほとんどありませんでした。
紙一重、寝ている場所がずれていた…とか、その程度の違いでした。
僕も、もしあの日の昼間に震災が起きていたら、まきこまれていました。
生き残った自分は、何かをしないといけない…そう思います。
by みず (2006-01-21 22:54) 

JUNKO

今から32年前、大学生だった私は甲東園(段上町4丁目)に住んでいました。写真の潰れた建物、ショッピングセンターニューコートの一階にあった「ひまわり」というお店でアルバイトをした事もあります。あの頃が懐かしくて画像を探していましたが、もう存在しないのですね。本当にありがとうございます。
by JUNKO (2022-08-29 23:11) 

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